牧師 高橋勝義 |
〔民数記25章1~18節〕
イスラエルがモアブにとどまっていた時のことです。民は土地の娘たちとふしだらな関係を持ち始め、さらにモアブの神々の儀式に加わり、ついには偶像を拝んだのです。しかも、それは民のかしらたちでした。すると、主の怒りがイスラエルに燃え上がり、神はモーセにバアルを拝んだ者たちを一人残らず処刑するように命じます。神の厳しい命令に、全会衆は幕屋の入り口で泣いていましたが、その目の前で、一人の男がミディアン人の女を連れてきて、自分の兄弟たちに近づけたのです。それを見た祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、その男と女二人のあとを追い、槍で殺しました。すると、このことでイスラエルの子らへの神の罰は終わり、イスラエルは絶ち滅ぼされずに済んだのです。
かつて荒野で民は「ああ、肉が食べたい」と大声で泣き、主に激しく不平を言ったため、主の怒りが燃え上がり、主の火が宿営の端をなめ尽くしました(民数記11:1~6)。聖書は、このことについて、「その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。(ピリピ3:19)」と語っています。
イエス様を罪からの救い主と信じた者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたと聖書は教えています(ガラテヤ5:24)。欲望のままに生きる歩みから、神とともに生きる歩みとなるためです(Ⅰペテロ4:2)。しかし、欲望に打ち勝つ力は私たちにはありません。私たちの内に住んでおられる御霊の力によってなら打ち勝つことができるのです。(ローマ8:11)。
それゆえ、「御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。(ガラテヤ5:16)」と勧められています。
牧師 高橋勝義